伊賀と津の町。ミニ観光ガイド。

地域の特徴 (酒蔵の土地・・・伊賀の紹介)

伊賀はの発祥の地で、俳聖 松尾芭蕉の生誕地。そして、何より、忍者で世界的に有名です。

伊賀は周囲を山に囲まれ、清らかな水と良質な酒米に恵まれ、美酒を醸すのに最高です。

なんと、琵琶湖は昔、伊賀にあったのです!! だんだん北上していき、現在は、滋賀県に琵琶湖があります。
だから伊賀の土は古琵琶湖の湖底の土壌で、砂地と粘土地がミルフィーユ状になっているのです。
昼間と夜間の寒暖差、夏と冬の寒暖差が大きく、野菜は生のままかじると甘い。例えば白菜は、ジューシーな糖分を体の中に蓄えるのです。

米は昼間にしっかり光合成して、夜はぐっすり胚乳(米粒になる部分)に栄養(純良なデンプン)をたっぷり蓄えて、実ったころにはポンポチコンに実の脹らみのある米粒になるのです。
そして、いい水を吸って、柔らかで、純粋ピュアーな旨味を感じる酒米が育つ土地なんです。

伊賀の農家は「“山田錦”は昔から伊賀にあったんや。」と言っています。
 …このお百姓さんの言ってる“山田錦”とは、“山田穂”の事だと思います。(編集部注(^^))

でも、伊賀の農家は、その米は山田錦なんだ。と思い込んでいます。
 元々、神宮の土地、宇治山田に実っていた背の高い酒米。その地名から「山田穂」と名づけられたと言われています。

神宮のお膝元で見つかり、お神酒用に栽培されていた優秀な酒米。ロマンがありますね。

伊賀の土地柄は酒米に向いていたから、お百姓さんは伊賀で山田穂を内緒で熱心に栽培し、
その米をうまく手に入れた忍者が、忍術で密造酒でも造っていたのでしょうか?
忍者情報網で、お代官が来ると、忍術で飲み干して。。。

それを誤魔化すために忍者は、役者に成り切って、田楽・猿楽(能の原型)などを舞っていたのか?
ということは、昔、芸能人は忍者なんかいな?
・・・
その美味しいお酒を飲みながら、娯楽をやっていたのが能になったのか?…考えを思い巡らせると
楽しいですね。

ある日、
兵庫のお百姓さんが、お伊勢さんにお参りに来た時、この米(山田穂)の優れてることを見抜き、

帰り道、滋賀県で「渡舟」の背の低いやつ(短稈渡舟)をみつけて持ち帰り、
交配させて生まれた子供が「山田錦」なのです。

伊賀は、実は、
サッカーも盛んで、2002年日本・韓国ワールドカップでは、南アフリカ代表チームの合宿地になり、
地元少年達とサッカー交流が人気でした。

伊賀市と南アフリカのドラッケンシュテイン市とは姉妹都市になりました。
 また女子サッカーチーム「伊賀FCクノイチ」の本拠地でもあります。

今度のFIFAワールドカップ2012は伊賀市の姉妹都市、南アフリカでの開催です。
そのわりには伊賀市、全然のりが悪い!!今日現在。。。

●伊賀牛、伊賀豚、豆腐のでんがく、など旨い物処でもあり、日野菜の栽培は日本一です。



藤堂高虎さん(1556〜1630):伊賀上野城と安濃津城のある藤堂藩の初代藩主。

 1556年、近江国藤堂村に生まれ、15歳で浅井氏に仕え、嫡川の合戦で初陣を飾った。以来、各地を転戦し、1576年21歳で長浜城主木下秀長に300石で召し抱えられ、1585年には紀州粉川で初めて1万石の大名となった。
 その後、伊予宇和島7万石、関ヶ原合戦後、伊予今治20万石の大名となり、1608年安濃津・伊賀20万4干石、大阪役後32万3干余石に加増される。
 また、高虎公は築城の第一人者としても名高く、自身の居城は勿論、大阪城、江戸城はじめ、幾多の築城、・修復を手がけている。
高虎公75年の生涯は。戦乱に明け暮れ、各地を奔走、席の温まる暇もなかったが、武将らしさとともに、領民への気配りや人の和を大切にした人物であったと伝えられている。
 
 藤堂高虎公は、築城の名手と謳(うた)われました。
日本一高い石垣を誇る伊賀上野城はじめ戦争用の城ばかりでなく、やがて訪れる平和な時代を見越し、宇和島城や今治城、津城のように海や街道を城下に取り入れ、城下町の経済的発展の基盤も併(あわ)せ持つ城づ<りを行いました。高虎公は城づくりの名手であると同時に街づくりの名手でもありました。
 高虎公は徳川家康公晩年の随一の側近です。
 そして2代将軍・秀忠公、3代将軍・家光公からも厚い信頼を受け、徳川幕府の基礎を築きあげた大功労者です。約270年間の江戸時代は、平和を背景に経済も文化も大きく発展いたしました。
 日本が欧米列強の植民地にならず、アジアでいち早く近代化に成功したのは、江戸時代に基礎ができていたからにほかなりません。
 日光東照宮の近くに徳川幕府初期の譜代功労者19名と3代将軍・家光公が亡くなった時に殉死した側近5名の塞が建てられ顕彰(けんしょう)されていまず。高虎公は徳川家譜代の家臣ではなく外様大名でありますが、別格譜代として扱われ、しかも前列最右翼に墓が位置づけられております。
 草創(そうそう)期の徳川幕府において高虎公がどういう存在であったか、この功臣墓石群が見事に証明しています。
 高虎公は近江の藤堂村(のち在士村、滋賀県犬上郡甲良町在士)の郷士の次男に生まれ、まったく無名の雑兵から大々名にまで出世しました。
 若き日の不遇時代には主を転々としながら、苦労に苦労を重ねて階段を少しづつ登っていった人です。
 そして戦争のない日本をどう作るかに心血を注ぎ実現した人であり、また素晴らしい愛妻家でもありました。
 


伊賀上野城(白鳳城)


平地の広場の様に見えますが、崖の上の、土地なのです。


日本一の石垣。忍者か自衛隊しか、登れないだろう。
今年(2002年)は、何年かぶりに、自衛隊さんに、石垣の雑草、雑木の伐採をしていただいたお陰で綺麗になった崖。
登ってきても、上から石を落とされたら、ひとたまりも無い。
 (崖で命がけ。お陰で怪我が。。。忍者は何人じゃ?)


上野城から見た、上野市街。一番手前に見えるのが上野中学校と上野小学校。

奥の山間の盆地(真中中央〜右手山の方にかけて)には田圃(タンボ)が広がっているのが見える。
昼夜、夏冬の寒暖差が内陸の盆地の特徴。
酒米最高品質の山田錦(伊賀山田錦)、一般米(コシヒカリ、ヤマヒカリ)の作付けがされている。




観光じゃ、ございませんが、、、
町を守る、伊賀上野市消防団のみなさん

伊賀市は古い民家が多く、狭い道に昔の風情を醸し出しています。
2005年11月1日、上野市が周辺の郡を合併して伊賀市誕生となりました。
写真は、2005年11月21日(日曜日)、伊賀市長選挙の会場となった西部市民会館の隣、
消防団のポンプ車の車庫に待機する、消防団の皆様です。
町を守ってくださってる消防団の基地が市内に数箇所あります。


かわいい。ホース車。
軽トラです。
こいつが火事の時には虎系になってくれるんだな。

ポンプ車の到着を待っているところ。
訓練前のひととき。
恥ずかしがって前を向いてくれない。





三重交通
。。。結構バスお宅???。。。

三重県のバスは三重交通です。
市バスというのはありません。伊賀市、津市、他どこでも三重交通のバスが走っています。
三重交通のバスのデザインは白地に緑です。
三重県が農業が盛んだからでしょうか? 大豆の生産は全国6位だとか。。。

(因みに名古屋の市バスは白地に青のデザインが新幹線チックで結構僕のお気に入りです。)

三重交通は観光バス、長距離バス、が全国に走り回っています。
東京(池袋発)〜三重県津市伊勢市行きのバスは西部バスと提携しているみたい。
東京(品川バスセンター発)〜伊賀行きのバスは、京急バスと提携してるみたい。

三重交通の 乗り心地はまあまあふつう。
名古屋のバスより運転が上手。奈良のバスよりはちょっと下手。。。
三重交通の運転手さんもだんだん若手になってきています。
まれに津市あたりでは女性運転手さんがいたりします(2人ほど見掛けた。)

市内を走るバスの後ろ姿。‘黒松翁号’を頻繁にみかけます。
(写真は伊賀市内を走っているバス。)








ミニ観光ガイド。<三重県>

★御在所岳の川
 雨が降った後の春の日。この川のすぐ近くに「あさあけ会館」という、キャンプ場がある。
 ザザザーと川の流れを聞きながら、バーベキューが出来る。
  御在所岳では、ロッククライミングの練習する人も集まる。
  また、少し離れた、山の中に湯の山温泉があって、くつろげる。猿や鹿も怪我をしたら治しに来るとか。。。? 

 聖霊が宿っている様な氣がする、山の緑と川と岩。
 マイナスイオンもとても多そう!
まるで、瀧のような川と化した。鈴鹿山系の水源の1つなのだろう。
川幅は約5メートル〜10メートル。
これだけ岩があれば、ラフティング(急流いかだ下り)はまず、無理だろう。
雨の後、すぐ、激流に変わってしまった。呑みこまれたら怖そう!イタイぞ〜。






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